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ブログ Campy! オープン記念 サセ尻エリカさん舞台挨拶 [2007年10月11日(木)]

 
ごぶさたしております。
実は10月頭から、こっそりブログ"Campy!"つうのをオープンしてました。

オープン記念で、サセ尻エリカさんがご挨拶をしてくだすったので、告知させていただきます。

campy.jpg

↓今すぐクリッコ
http://www.campy.jp


今んとこ、毎日1エントリーで頑張ってますので、お気に入り、できたら、超お気に入り(そんなものはねえ)に追加してください。
そして、マイミクさんや、どこかの馬の骨にURLなどを教えてあげて、お友達もきれいにしてあげましょう。


今後の記事は、ブログ Campy!のほうに載せることになると思います。何人かの持ち回り投稿ですが、毎日1本は何か掲載されてる予定なので毎日見てください。日課に加えるといい。

Campy!での出演や寄稿など何か一緒におもしろい表現ができそうな方もお待ちしておりまーす。

レディ・イン・ザ・ウォーター [2006年10月09日(月)]

 
lady.jpg『レディ・イン・ザ・ウォーター』、待望のシャマラン監督の新作です。

シャマランの映画は、心の通じ合った元カレ(だと思う)と一緒に見るというお約束があるのが、ちょっとステキなところ。今回も久しぶりに会って「やすき老けたね〜」と言われつつ(「いやー」って照れ笑いでますますシワシワみたいな)、映画後半は一緒に泣きまくって、幸せな時間でした。


事前の風評がさんざんだったので、けっこう心配だったんですけど、自分にとってはなんと、もともと『シックス・センス』以降の作品全てが大好きなのにも関わらず、それを上回る最高傑作となりました。

風評が悪いのはよく分かります(調べたらミクシィのレビューも平均3点切ってた)。監督は「一般ウケ」をほぼ捨ててるんですね。今作は監督がやりたいこと、伝えたい想いが全開でしたから。
『シックス・センス』が一般にウケたのは、ホラーブームの先駆け+ドンデン返しというところだったと思うんですが、本当に素晴らしいのは、映画後半での「幽霊は住む世界が違うだけ。怖いものじゃない」という視点の変換部分。インド系監督のシャマランの作品は、常にマイノリティ意識と、それを超えて人がつながる、理解し合える希望に満ちているのです。自分だってホラーもどんでん返しも好きだけど、一番好きでたまらないのは、その部分。自分にしたら、むしろありがとう、よく好き放題やってくれたという気持ちでいっぱいです。

もう、冒頭から涙腺が緩み、後半は泣きっぱなしでした。アパートを舞台にしたおとぎ話なんですが、いろんな人種の住人がいるこのアパートは、世界全体でもあり、一人の人間の内面でもあります(個人的にはオンマー!と叫ぶ韓国ギャルがアゲ)。
言葉にしてしまうとあまりに照れくさいような、当たり前だけど大事な願いというやつが、シャマラン監督ならではの不思議なテイとすかし具合の中で語られていって、最後には確かな希望や可能性というものを感じさせてくれました。


ところで、パンフレットを買って読んでいたら、映画評論家が、ひたすら映画としてのテクニックがどうこうみたいな知識自慢っぽいつまらん評の末に、シャマラン監督自身の出演が今作では多かったことを「出しゃばり」と批判していました。この人、この映画の何一つ読み取れてませんわ。というか、同じパンフレットの中で、監督が自身の出演の理由については先に語ってるだけに赤っ恥もいいところ。
この映画の「現実は『ストーリー』によっておとぎ話になり、奇跡すら起こせるのだ」という最大のメッセージは、現実に「伝える作業」を生業にしている監督自身が、たとえナルシシズム込みでもあの役を演じるからこそ、説得力を持つというのに。この評論家さん、自分が映画の中でネタにされて食われちゃった人物と全く同じことを繰り返してるって気づけないんでしょうね。カワイソウ。でも頑張ってね!(フォロー)

まあ、監督は映画の中でもちゃんと皮肉っているように、世の中の多くの人は、すんなりと受け入れてくれないことも重々承知で、「妙」な映画を作り続けているんだと思います。売れ線のソレっぽさをメインにすれば、言っちゃなんだが「読み取らない人々」にも「怖かったよねー!」「ビックリしたよねー!」と絶賛されるし、そうすりゃより儲かるんだろうけど、一度そういう栄光をモノにしておきながら、以降はどんどん自分の作家性とメッセージをむき出しにしているシャマラン監督は本当にかっこいい。もちろんその作家性とメッセージ自体が素晴らしいからこそですけど。


オカマが子供の心のまま、傷を抱えて体だけ大人になってしまった存在なのだとしたら、オカマにこそ見てほしい作品。おとぎ話を信じて、共同体で手を取り合う夢に賭けてみてください。

ママ上京の三日間 [2006年08月15日(火)]

 
去年の11月に、34歳にして、こんだけオカマの専門職みたいなので生きてきておいて、ようやくママにカミングアウトしたブルたんなわけですが、ママがそれを受け入れてくれたのは、以前報告した通りです。
そしてそのママが、ゲイプライドな週末に向けて、岐阜から一人で上京してくれました。

<土曜日/パレード当日>

自分はリハや準備があったので、午前中から代々木公園入り。
ママを会場に連れてくるのは、同居人おまこにお願いしておきました。
昼過ぎに無事にママ&おまこのおばさんコンビが到着。準備とかもあったのであんまり付きっきりではいられなかったけれど、可能な限り周辺のゲイ友に紹介しまくりました。
その後、豪雨を経て、パレードが開始。ママはバディフロート隊列の前のほうで、おまこや元彼ノブちゃん、友達のだゐちゃんや、かっちゃん一行に挟まれるカタチで参加しました。

自分は日記に書いた通り、アクシデント対処で必死になっていたので、すぐ近くにいながら、ママの横に並ぶことはついにできなかったけれど、おまこはじめ知り合い達が囲んでくれてるのであまり心配はしなかったかな。つうか、それより心配なことが多すぎたし(苦笑)。
ただ、ピチカート・ファイブの『陽のあたる大通り』は、ゲイにもファンの多いアーティストの、パレードにぴったりの唄であると同時に、個人的にもあの唄を聴きながら落ち着いた気持ちでママと手をつないで歩きたかった、なんて思ってたので、やっぱり雪辱戦はしたいかなぁ…。
それでも終わった後、ママに「ごめんね」って言ったら、笑顔で「お母さんは初めてだから、今までがどんなだったか全然知らないし、今日のだけでもすごく楽しかったよ」と言ってくれました。うれしかった。

夜は、先にホテルに帰っていたママを、ノブと二人で迎えに行って、御苑沿いのラ・ボエムでお食事。いきなり入り口の席にオジコなどのグループがいて「ブルさ〜ん」とクネった挨拶をしてもらえました。キレイな内装と、御苑の緑が見える雰囲気の良さに「岐阜にはこんな店はないわー」と喜ぶ田舎発言ママ。次々に入ってくる客がことごとく男二人だったので、「ほらまたオカマだよっ」と数の多さをアピールしておきました。「最近、ちょっと見分け方がわかってきて、岐阜でも『あの二人そうかな』と思うことが多くなってきたよー」とも言ってました。
その後、長年の友達な女子カップルのお店に連れていって、二人を紹介。スナックのママ時代の興奮がよみがえったのか、楽しそうに、別の席のおっさんなどとも話していました。
ホテルに帰る前に、せっかくなので二丁目散歩。通りにあふれるオカマの多さに驚いてました。仲通りの交差点でモウシンと会った時、モウシンがママに「息子さんと15歳で付き合ったからこんなになっちゃったんですよー」と冗談で言ったので、「ごめんねー」とか返すのかと思ったら、「あらー15歳ならもう大人、アンタの自己責任よぉ」と返していたのに感動しました。

mama1.jpg
バディ隊列で並ぶオバさん軍団

<日曜日/おまこ演奏会とレインボー祭>

日曜昼は、おまこのオーケストラの演奏会に二人で行きました。疲れてたけど、ソロありのおまこ一世一代の晴れ舞台だったので、オケにはあんまり興味のないブルもさすがに行こうかなと。
無料コンサートということで、ヒマつぶしに来たんじゃないかと思われる荒川区のオバちゃんなどに囲まれながら聴いたのですが、意外なほど楽しめました。クラシックの知識はブルも荒川区のおばちゃんレベルなので、分かりやすい選曲が良かったみたい。
おまこソロパートでは、モーニング着て、いつもと顔の違うおまこが紹介されて出てきたのでちょっとウケました。ママも拍手しまくる身内びいきなオバちゃんっぷり。

夜は、ノブちゃんとママの三人で夕飯を食ってから、レインボー祭りへ。早めに移動しておいたおかげで、ニクヨやエスムのショウ〜花火までの流れを最前列で楽しませてあげることができました。エスムは、NLGRの時に素顔で(あまり変わらない)紹介済みだったんですが、初の女装パフォーマンスを見て「おもしろかったねー。マンボの歌もすごくいい! 私ああいう曲調好きなのよー」と喜んでました。ラテン系の音にアガル、オカマセンスなママです。

mama2.jpg
レインボー祭にて エスムとママ エスム怖い…

<月曜日/隅田川下りとお台場>

当初の予定と違って、ママのオトコ(ブルが学生の頃からずっと付き合ってるけど籍は入れてないみたい)が上京できなくなったので、月曜日もママ孝行をすることにしました。お盆休みのおまことノブと4人で、『江戸東京博物館』に行こうと、両国へ。入り口まで行って休館日だと気づきました。ひいいい。でも、オカマだもん、へこたれへん!(辻元清美) すぐに近くの船着場に行って、隅田川の水上ボートに乗り込みました。

清んだ川(うそ)を見ながらお台場に到着。浜を散歩したり、アジア料理を食ったり、ソニーのサイエンスなんたらで、子供を押しのけていろんな実験をして遊びました。
フジテレビのお台場冒険王のほうは、衝撃的な行列が見えたので、「なんだありゃ…。こんなの冒険じゃない! アンタたちがしてるのは冒険なんかじゃないよ!」などと、大きなお世話の悪態をつきながら、あんまり人気のなさそうな日本科学未来館に行きました。

予想以上に高度な展示が多くて「ほら、岐阜名物のカミオカデン模型だよ! でもニュートリノって何?」などと話しながら、のんびり見物。ノブが見つけた、ショウジョウバエの性行動のビデオにアガりました。知らなかったんだけど、ショウジョウバエにはサトリと呼ばれる、メスに興味示さないでオスと連結合体したがる同性愛な個体が一定数いたんですねぇ。ビデオを見終わったママは、「これからアンタたちのことをショウジョウバエのサトリって呼んでやるわー」と言ってました。

そして新宿駅でママをお見送り。珍しく早起き続きの日々だったのでずいぶん疲れたけど、ママと仲良く楽しい日々が過ごせて、自分もうれしかったです。

mama3.jpg
両国駅で、力士になってみました


自分がなかなかできなかった理由でもあるんだけれど、ともすれば心配に思わせてしまう肉親へのカミングアウトってのは、どれだけ自分が納得しているか、幸せに生きているかを伝えるケアが必要なことが多いと思うんです。

だから今回のママ単身上京は自分にとっては、とても大事にしたい時間でした。
ゲイがものすごい数いる存在だってこと、自分にはたくさんステキな友達がいるってこと、自分なりの意義を持って仕事や活動してるってこと、そして東京で楽しく暮らせてるってこと、そういうのをできる限り三日間で伝えることができたと思います。
そしてそんなケアなんていらなかったのかと思うくらい、けろっと楽しんでくれた、柔軟なママはやっぱりイイ女だなーと思いました。

カミングアウト論はいろいろあるだろうし、それぞれの事情で選択すればいいと思うけれど、やっぱりそれがうまくやれれば、こんなにお互い気持ちの良いことはないと実感してます。もっともっと簡単にそれができているオープンマインドなゲイ友も周りにいるので、ことさら自分だけが書くことじゃないんですが、逆に自分のように「迷ったあげく」ってのに意味があるような気がして、このことを伝えたいと思いました。

自分はそれまでの10数年より、ずーっとママと楽しく仲の良い関係でいられるようになったので、すごく満足してます。
きっとママも、前までの、どんな生活をしているかをちゃんと言わなかった自分より、今の自分のほうが良く思ってくれてるはず。だよね〜?(恥ずかしながら、ママはこのブログ、読んでるのです)

パレードお疲れ様でした [2006年08月13日(日)]

 
皆さん、TLGP2006こと、パレードお疲れ様でした!

…いきなりですが、バディフロートの受けたトリプルパンチの言い訳からさせてください。
まず、工藤静香『嵐の素顔』の祈りが通じてしまったのか…(ウソよミッツ)、本当に嵐のような豪雨が直前に降りました。
おかげでフロートの一部が破損しちょっと寂しい見た目に。
さらに音響機材が突然死亡…。
その上、警察の血も涙もない判断で、全フロート上から人が完全に降ろされるという、悲しすぎるトラブルが連発のパレードになってしまったのです。


音響に関しては、豪雨の後に心配されての音出しチェックでは無事に鳴ったのが、よりによってオープニング後数曲分だけは鳴ってからいきなり壊れ、ノンケの機材屋さんもお手上げの壊れっぷりでした。
それと、フロートから人が降ろされたのは、数ヶ月前のノンケのサウンド系パレードで逮捕者が出たように、かなり警察の締め付けが厳しくなっていたことも関係したようです。

前半、それも、より人が多い晴れ舞台となる場所で、キャストの見えない無音状態でただ歩くハメになった皆さんには本当に申し訳ない思いでいっぱいです。
ミッツ&ゲブたんのショウやナイスバディ達のダンスが次々に披露されることになっていた、てんこ盛りのタイムテーブルが、完全にダメになってしまい、自分としてもくやしくてしょうがありません。朝から並んで楽しみにしてくれたバディ隊列の皆さんにちゃんとしたサービスができませんでした。


それでも、マイクパフォーマンスで盛り上げてくれたミッツ&ゲブたんや、音がないなりに自分達で楽しんでくれようとした皆さんの前向きなパワーのおかげで、なんとかつらい時間をやり過ごしてもらいました。

バディフロートがそれなりに救われていた点もあります。出発地点にフロートが着いていないのにバディ隊列に出発命令を出した警察官に交渉して、ギリギリでフロートと隊列がちゃんと組めたこと。
実は複数の他フロートでは、この合流がさせてもらえず、後ろに応援団が全くいない状態で前半2,30分を動くはめになっていたようです。それってホンットひどい話だと思うんですが。

それと、スタッフの中に警察事情などに詳しい人がいてくれたので、管轄エリアが変わったら再度乗車して対応を見る価値はあるということになり、このチャレンジが見事成功。後半では無事にキャストが復活できたということでした。そしてバディブースに残っていたスタッフに連絡し走ってもらって、急遽別方式での音出しにも成功。

おかげで!
後半は、予定の范文雀…じゃなくて半分弱とはいえ、キャスト完全復活&ヒットパレードが実現できました。ここからの盛り上がりは、後半エリアの沿道で待機していた人からすれば、バディフロートはすごく無事に盛り上がっていたとカン違い(苦笑)してもらえるくらいにステキだったそうです。


いろんな面でボロボロだったけれど、考えてみれば、豪雨にさらされたり、警察にキャストを降ろされたり、なんてのは、ゲイリブ的なものがいろんな障害にぶち当たっていく縮図だったのかもしれません。
豪雨の中のブース前でわざとずぶ濡れになって踊り狂い、みんなを笑わせてくれたゲブたんや、路上を歩きながら松田聖子をアカペラで唄ってくれたミッツが、すごく眩しかった。ビバ! キャンプ魂。
トラブルに怒ったり嘆くだけじゃなく、それを包み込んで逆手にとって楽しむくらいの気持ち、それこそが一番の、ゴール地点に向かう方法なのかもしれません。
もちろん反省点はいっぱいあるので、ベタですけど、これをステップに頑張るしかないと思っています。


パレードを作ってくれた、そしてもちろん参加してくれた皆さん、本当にお疲れ様です、ありがとうございました。

そこに愛はあるのかい(長文) [2006年07月29日(土)]

 
江口洋介ってどうも好きになれない俳優なんですけど、このセリフはものすごく気にいってます。野島伸司は『世紀末の詩』を筆頭に、愛にまつわる寓話的なメッセージを多く発していたステキな人でしたね(過去形ひどい)。


ひとつ前の日記の「新木場ホモ狩り事件」。当初は、mixiのニュースについてのコメント日記、つまりほとんどノンケの反応についての反論を書いたつもりでしたが、その後いろんな人の日記などで、ゲイ自身の側も想像以上に、被害者の行動の是非のほうに論点を求めていることを思い知りました。
(※ところでノンケと書くとまるでノンケ全てを指しているようですが、もちろんそういう日記を書いたノンケのことです)

mixi日記のパターンとして自分の日記にコメントをつけてくれている方々は、同意してくれる人が多いのでむしろ励みになったんですが、現実を見渡すと、ノンケという9割がたの広大なエリアのみならず、ゲイのエリアでもけっこうな割合で被害者自己責任論が展開されているようです。

自分の意見は前の日記と変わらないんですが、補足的に、ぼせくんの日記がいい例え方してくれていたので引用させていただきます。
「これが、【近隣住人による同性愛者への抗議…「私たちの公園を返して」】みたいなニュースだったら、話は大きく変わるんだろうな」

そういうことなんです。
こういうトピックなら、素直に「オマンコ狂い人間(違う)性に奔放なゲイ達の行動について戒め込みで考える」という話題でいいんですよ。
その時はブルたんも「あーん戒めなきゃー」なんて縮こまりながら聞く気にもなります。

実際に既に重傷を受けている人間がいるのに、その罪よりも、そこにいたった行動のほうを問題にするのは、お願いだから別の機会にやってほしいんです。
日本語的にも「強盗傷害犯がやったことはひどいことだが、被害者もどうかと思う」 と書けば、国語を学んだ人なら(イヤミ)それが「強盗傷害犯がやったことはさておき、被害者の罪をクローズアップしたい」に近くなるメッセージ発信だと分かるはずです。せめて「被害者も愚かだったけど、強盗傷害犯は本当に許せない」という語順で書いてほしかった。



今から15年ほど前、まだブルたんの顔やケツがプリップリだった頃に、当時付き合っていたオトコが「血液製剤でHIVに感染した人はかわいそうだけど、性行為で感染した人は自業自得のやつらだから同情の余地はない」という意見を言って、大ゲンカになったことを思い出しました。

「自業自得」なんて、人に言われるまでもなく本人がとっくに思い知ってるんじゃないでしょうかね。殴る蹴るの暴行を受けてボロボロになっている人間なら、身体じゅうの痛みが、そしてHIVポジティブなら、不安との葛藤の日々や薬を飲む煩わしさなどが、「自分の甘さ」に対してもう十分だろうというくらいの「つらい思い」を与えているって想像できませんかね。
なぜ、何の損害もこうむっていないはずの見ず知らずの人間が、「お前が甘い、悪い」と追い討ちメッセージを発信する必要があるのでしょう。
もしかして「そんなやつらがいるから、同じゲイとして迷惑」という損害なんでしょうか。それって、ゲイパレードの女装や露出マッチョを貶める発想に逆戻りですよね。


もちろん、社会運動的な効率の良さを求める際には、場を選んでしたたかに「現状では、性に奔放なゲイ達がいるのも事実で、それには眉をひそめております」と言うのはアリですよ。自分も場を選べばそういう演技もしたいくらいです(キャリアウーマン風メガネとかで)。ゲイリブのうち、対ノンケゾーンの、公正明大さと建前で動くエリアでは、それに見合った戦略も必要ですからね。

でも、ゲイtoゲイの本音のエリアでさえ聞かされる、「今回の件における被害者自業自得論」には、心底ガッカリするのです。


男性ゲイの性が奔放なのは、疑いようのない事実です。ブルたんの愚息もウンウンとうなずいています。
でもそれはゲイという人種が生まれながらに腐っているのではなく、社会的な状況の中で生まれた傾向じゃないですか。性衝動の強い「男性」同士だからヤリまくるし、少数派だから誰かとつながりたい気持ちいっぱいですぐにくっついちゃうし、どうせ日陰モノだから変態行為に踏み外しやすいし、社会単位に認められていなくて生きがいも得にくいんだから刹那主義になる傾向が強いんです。そういう事情を真っ先に汲み取ってあげられるのは、同じゲイくらいじゃないですか。

その諸問題から自分を律するのは立派だと思うし、やれる人からどんどんやってほしい。自分がそうしたいと思うなら貞操体つけるのも大賛成です。鍵を預かってもいいです。
でも律し切れていない他のゲイを貶めることで、自分が律していきたい気持ちの表明に変えるのはちょっとずるいと思います。愛情ゆえの厳しさ、というなら、まずは愛情をイヤッちゅうほど見せてほしい。


「人なんてみんな違うから、人はしょせん一人」という人の宿命を前に、それでもなんらかの属性でつながろうとするのが多くの人間です。
生まれた地域や血縁などの物理的な属性が幅をきかす中で、ゲイ・コミュニティというのは、愛と幻想をつなぎにした心の国なんですよ。

もちろん自分だって日々そんな薄ら恥ずかしいことばかりを言うつもりはありません。というかむしろ「あのクソブスまじムカつくのよー」とか言ってる日のほうが多いです(ホントに)。
でも、マジメな話をしようって時に出てくる言葉に、愛や優しさが感じられなかったら、それはゲイ・コミュニティにこだわった仕事をして生きている人間には、本当に悲しいことなのです。ぶっちゃけ、そのへんもう慣れたつもりだったけれど、今回改めて痛みを覚えたので、こうしてしつこく書かせていただきました。痛みを乗り越えてやり続けるには、まだまだ拡張しなきゃいけないのかなぁ…。


ハローベイビー
優しさって
無限に続く愚かなほどの優しさって
いつかは愛にたどり着くかな
(『世紀末の詩』より)

野外露出と強盗傷害は、どっちも同じ悪いこと? [2006年07月28日(金)]

 
Yahoo!やmixiで配信された時事通信社のニュースです。

同性愛者襲い、現金奪う=「届けないと思った」−高校生ら4人を逮捕・警視庁

野外系は廃れたと言われつつもしっかり続く露出ハッテン。
んで、「後ろめたいことをしているゲイなら届け出もしないだろう」といういやらしい発想からの強盗傷害事件です。

このテのニュースになると、公序良俗に反する野外露出ハッテン行為も一般的に「悪い」ことにはなるわけなので、一部のゲイすら含めて「強盗傷害なんてひどいけど、被害者もどうかと思う」という感想になりがちです。
実際、このニュースに関するmixi日記を付けているノンケの皆様の大半もそんなかんじでした。


でもさ、自らの変態欲求のために、ハッテン目的(か強盗傷害目的)の人しかいないであろう、夜の郊外のハッテン公園で全裸徘徊をすることと、マイノリティの後ろめたさに付け込んでわざわざそういうエリアに乗り込んで、4人で「重傷」負わせるまでボコって金奪うことを、「同じ悪いこと」って語るのはどうよ。

被害者にあるのは「変態性」であって悪意ではない。夜のハッテン公園を選んでいる時点で、基本的にはノンケに見せて不快感を与えようともしていない。
正当なオシオキがあるとすれば、マッパをマッポに怒られ始末書書かされるとかそういう程度のことであって、悪意に満ちた高校生4人に強盗傷害を受けることではないだろうて。


ところが、夜の公園を裸で徘徊という、ノンケには異様なイメージが伝わる情報がくわわるだけで、強盗傷害という圧倒的な悪行はおいといて、被害者側の謎さのほうに焦点がずれちゃうのですね。

重傷受けて金とられて、その上ニュースを読んだ事情知らずのノンケ達に「お前のほうも変態で悪い」くらいのことを言われなければいけない露出狂さんが、本当にかわいそうです。

時をかける少女 [2006年07月25日(火)]

 
ドンパパ原田知世さんって、根拠のない高級感・お文化臭で自分を売り続ける女の筆頭だと思うんです。このウサン臭さが、ウサンどころかウン臭いなんて俗ネタにもつながるんでしょうね。ちょっといい気味だったり…。

そんな知世の映画デビュー作にしていまだ超えられぬ本人の代名詞が『時をかける少女』なんですが、今、最新のアニメ版映画が絶賛公開中です。
絶賛つうても、東京ではテアトル新宿のみの上映ですけど。ちょっと前に『ヨコハマ・メリー』を星屑スキャット三姉妹のライブ付きで観たばっかりの劇場だけに愛着がわきます。

多分、この夏の国産アニメ映画、「露出度と広告費」は

ゲド戦記>ブレイブ・ストーリー>>時をかける少女

ですが、「デキの良さ」はこれがまるっと逆転してそう(ほか二つ見てないけど)。

アニメ版『時をかける少女』、すごーく良かったです。

あんなに、みずみずしいアニメ映画ってそうそうない。いわゆるキャンプなひねた喜び方はあまりできないんだけど、たまにはそういうの忘れるのもいいなと思えるくらい、真っ当に清清しい青春アニメでした。
まっすぐな恋。前を向いて走れ。
あー心が洗われたわー(洗っても洗っても落ちない汚れが…)。

tokikake.jpg

最後のACE [2006年07月02日(日)]

 
7/1は二丁目を代表するクラブ、ACEのファイナルパーティでした。

思えばUPPER CAMPはBar Delight〜ACEとともにありました。
パソコン通信ネットUCのオフ会会場として借りたのが94年。
"CAMP '94"で、ブルボンヌやエスムラルダ、サセコはデビューしました。正確にはまだ女装名はなかったけど。
当事はまだあのマーガレットさえドラァグ・ネームというものがない時代で、「こんばんわ、小倉東です」なんて言ってゲスト出演してくれてました。男やん。

その後、毎年周年パーティをやるうちにUCはいつの間にかパソ通ネットから女装サークルになってしまいました。それもお笑い寄り。多分、生存本能に長けていて、自然とニッチなポジションを見つけたんでしょうね。

ACEになってからは隔月の定例イベント"CAMPY!"を開始。
ここでUPPER CAMPという女装ノリの全てができあがりました。
笑わせ系のショウ連発、へんてこテーマ&フライヤー、女装演劇、などなど…好き放題やってたなぁ。今思うとあれはクラブイベントとは言えなかったかもしれませんが、自分がやりたいことを全部やらせてもらったハコでした。

そして、自らオーガナイズし、脚本を作り、出演するという作業の繰り返しに息切れがしだして(女装アバレもあったし)、"さよならCAMPY!"をやることに。小石川が作ってくれたフライヤーは女装全員が死んでいるお葬式写真でした。
最後のショウタイムの後のMCで、ブルボンヌが「今日でCAMPY!は最後ですけど、こうしていろんな表現を作らせてもらって本当に楽しかった。ゲイは子供が作れないけど、その分、ほかのものをいっぱい作って与えていけるんだと思います」といつになくマジメに語った時に、ACEを作ったアキさんがひときわデカい声で「そうだ!」と答えてくれました。

レインボー祭りとその花火を生み出してくれたのもアキさん。自分はアキさんときちんと長話をしたことは一度もなかったけれど、本当に彼にいただいたものは大きかったと思います。


ACEは、二丁目に常設クラブを作りたいと思った、人一倍、夢と実現力を持ったアキさんが残したゲイ文化の玉手箱、強烈にゲイ魂のこもった場でした。
もちろん、ArcHにもその意志は引き継がれるものと信じていますが、その直系の空間が今夜終わってしまうというのは、本当にいろんな意味で感慨深いものがあります。

アキさん、まっちー、たつや、スタッフの皆さん、お疲れ様、ありがとうございました。

ace1.jpg

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ママ in NLGR [2006年06月14日(水)]

 
名古屋出張から帰ってきました。

ブハー疲れた。ゆうべは気づいたら12時間も寝ちゃってたほど。
4泊ずっとマツコ・デラックスと同じ部屋だったんで、エアコン18度攻撃とUMA鳴き声風イビキ攻撃でぐっすり寝てなかったせいだと思います。まあ、エスムラルダと3人で、毎晩睡眠時間を削ってゲイシーンや女装について語ってたのも大きいんですけど。


実は、出発の直前に、メッセンジャーで岐阜在住のママから「何してんの?」と来たので、「名古屋出張の準備。名古屋でゲイのイベントがあるの。なんなら来る?」と送ったら「イクイク!(カタカナじゃない)」と言うので、NLGR公式ブログのHPを貼り付けておきました。これで話が済む57歳って楽だわ。

約束通り、日曜の3時頃にバディブースのあたりにいたら、ママが現れました。
そのちょっと前には、ステージでは笹野みちるさんなどの感動的なライブをやってたんですが、偶然にもママ到着時は、趣味系女装の皆さんが縄で縛られムチで叩かれ「あぎい〜」と奇声を発しているという出し物だったので、「母親にゲイイベントを初体験させるには、素晴らしくキワのワンシーンだなぁ」と感慨を覚えました。

ついでにもっとキワを見せてやろう、と思い、ブースの中で女装牢名主のように座っていた素顔のマツコを紹介。期待通り「おっ母さんスッテキ! わっかい!」とオネエ接客で食いつきまくってくれたので、ブースで売ってたマツコ著作の『週刊女装リターンズ』を買って、「由紀さんへ」とサイン入りでママにプレゼントしました。さらに、毎月作っているバディ本誌もついにプレゼント。前回の帰省の際には、自分のロングインタビューが載っていて、なおかつ、誌面は上半身な記事の多い『クィア・ジャパン・リターンズ vol.0』だけを渡していたので、バディ本誌は内容的にグンとドギツくなります。たまたまゲイビデオ大特集の号だし。一応「8割がたエロだけど、商売も大事だからね。お母さんも水商売だったんだから分かるだろう!」と念押ししてみました。


その後は、会場を廻りながら、業界知人友人の皆様をご紹介。マツコ・クミちゃん・Junchanとたて続けに「元同僚の〜」という紹介だったので、「なんでみんな辞めちゃうのぉ?」と何度も聞かれて困りました。「い、いろいろあんの!」とあせる息子さん。エスムラルダとべーすけさんは、『クィア・ジャパン〜』を熟読していたおかげで、ママのほうも知っていてうれしそうでした。そしてちゃんとテラ出版社長にもご紹介。

せっかくだからと、ステージで始まった、G.O.RevolutionのQUEENフレディ・ショーやべーすけさんのピアノ漫談、そして同性結婚式を一緒に鑑賞。フレディやピアノ漫談はかなり喜んでたようだし、結婚式みたいな厳かなのもまた別の一面として観ておいてもらって良かったと思います。
観終わったら、ママは一人で「じゃあねー!」とタクってさっさと帰って行きました。8月の東京パレードも観に来る気マンマン。カミングアウト半年後なのに見事な順応ぶりで、我が母ながら誇らしいババアです。



ただ、公園で座りながらゲイについていろいろ話していた時に、今回も「でも、どうしてそうなっちゃうんだろうねえ」と聞かれたので、「うーん、科学雑誌とかに載ってたこともあるけど、ハッキリとは分かんないし、生まれつきだと思うよ。多分、後天的じゃないから」と答えました。
「環境じゃないの?」と言うので「育て方や環境で変わるのは、むしろ、自分がそうであるという事実に対してどう振る舞うかのほう。だから、保守的な環境で、本当の自分を見せられずに、ゲイを必要以上に気持ち悪いって言ったりする人に育ったりするほうがずっとつらいことなんだよ」と答えました。

由紀ママと、東京のママおまこと、周りのステキな人達のおかげで、本当に幸せに生きられるように育てられてきたんですよ。

mamainnlgr.jpg

恋バナ  [2006年06月08日(木)]

 
こないだ、仲の良いヤツのつらい恋バナを酒飲みながら聞きました。
かなり長い付き合いなんだけど、今までになく感情むき出しで良かったなぁ。
イヤな方向じゃなく心をさらけ出した状態ってのは、愛らしい姿ですよね。

すぐ隣にノンケカップルとかいるのに、セックスとかチンポとか叫びまくりながら感情を吐露していたので、まあ自分以外にとっては迷惑だったかもしれませんが。


恋愛において、想いが強い側と冷めてる側では、強い側が一般的に「負け」とされるし、自分も言葉としては「アンタ完全に負けてるわ…」と評するんですけど、恋愛の旨みという意味では、それは逆転するんじゃないでしょうか。

冷めてる側は、後ろめたさや申し訳なさや(ぶっちゃけ)面倒臭さは味わえても、それは恋愛らしい豊かな感情とはちょっと違う。
「いくら没頭できてるって言っても、こんなつらい感情はイヤーッ」とその最中は思うのは、経験からも分かるんですが、実際に今たいして恋愛感情が動いてない俺様(クールビューティ)からすると、恋で心がワヤクチャになってる姿は、うらやましくすらあります。
あんなに「つらさ」で乱れられるってことは、その分、次の「幸せ」もバカみたいに謳歌できるはずだもん。


個人の脳内での相対的な感覚でしかない以上、本当の意味での比較はできないのは承知してますが、「たっぷり傷つき悩み泣き、たっぷり喜び癒され笑う」というのはやっぱり人生が「感情と記憶の歴史」である以上、旨みのある有り様ですよね。
ストーリーでも、世に言う名作というのは、たいていこの振り幅がでかいものばかりです。

君が今感じている喪失感は、その分たくさん得られた証。
そうしてどんどん器を大きくしていけば、いつかビックリするような大きなモノがズッポリ入ることでしょう。



昨年あたりから友人知人が続けて亡くなっているんだけど、本当に、もうそんな流れは止まってほしいですよ。みんなマイナスのピークをなんとか乗り切ってくれないかなぁ。
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